お仕事・脱依存・禁煙・PMS・音楽など適当に書いています。VIVA平和じゃない人生

結局SNSアカウント削除 辞めた理由と効果と心理

※本日も長めのブログでお送りします。
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▲一昨日の空 今日も寒いですね。

ジタバタのほほんです。
SNSアプリを消しては、携帯のブラウザからいちいちログインをし、特に目的もなく見る。
手グセ、だと思っていました。
でも正直に書きますと…

疲れた。距離を置きたくなった。けど出来なかった。


アウトオブコントロール…大人気ない。

辛くなったきっかけ

自分のSNSは、元々そんなに交流がある人が多くなかったんですが、
何年もやっていたので知らない方と交流する事が多くなりました。
そのSNSは他の方の会話が見えてしまいます。
私はその仕様がなんとなく苦手でした。
私は気軽に会話に入れないタイプで、更にたまに入ったところで会話が続く事に緊張してしまうのがスタンダードでした。変なこと言わないように、とか。
価値観・社会的立場・どんな内容をSNSに期待しているかど、なんとなく合う人が少ないのもあったと思います。
私は人間の弱いところも仕方ないと思う人間ですが、誰もがそれを許せるわけじゃないし見たいわけじゃない。


他には、私が投稿していたのは、趣味の事(他の人ともわかちあえる情報)・個人的情報(興味のない人にとっては不愉快だったかも)の二つだったので、個人的情報の内容(ややネガティヴ)が嫌な方には、私は不愉快な思いをさせているかもと考えながらも両方を同じフィールドで続けていき、タイムラインで自分邪魔なんじゃないかな的な気持ちになってしまったのもあります。

最後には楽しかった趣味も楽しめない始末でした。
同じくらい没頭しないといけないのかな。購入しないといけないかな。
自分のことでいっぱいいっぱいだから趣味のことは今は見たくない。
個人の困りごとを書きたいけど、交流ある人に嫌な思いをさせるかも、など。
※怖いのが、これ全部思い込みで、特に何か言われたわけでもないんです。


良い一面もありました。
話で価値観が合う人がいいねをくれてお話したり、知らない知識をたくさん教えていただいたりしました。
常に見ていれば趣味の情報を見逃すこともなく。
大変便利なツールとして長い間使用してきました。
それにネガティヴな事を書くことも息抜きにはなっていました。
そこに書いて一息入れて、パートナーに実際にあたるのを制御など。いい方法ではないです。人目に触れるので。

そんなSNSをPCから見れなくし、携帯のアプリを消し、携帯のブラウザのみ残していましたが、これでは依存のラチがあかないってくらい見る
すでに疎外感があったのに、一体何が気になっているのかもう不明です。コントロール効かないのがわかって更に辛い。
ので、観念して、アカウント消しました

辞めた効果

過去にもそのSNSを1ヶ月辞めていたのほほん、辞めた効果としては。
・まず時間が増えます。すでに増えています。
・本やその他やるべき事が目に入り、着手しやすくなります。
・心と頭が休まります。(ぼけっとする隙間時間に大量の情報を見ていたため)
・携帯を見る時間が減れば目も休まります。
・若干寝つきが良くなります。(携帯を手に取る時間が少なくなります)
SNSの内容が気にならなくなる。人の目を気にしなくていい。何となく平常心でいられる。

私の場合はこんなメリットでした。
携帯・SNS依存症かもとお悩みの方には、アカウント削除まではしなくても、一度全てのネット環境からそのサイトを見ない状況を作る事をお勧めしたいです。
私の場合は最初落ち着かなかったりそわそわしたりありましたが、慣れたら意外と気持ちよく過ごせるかもしれません。

深層心理?と認知の歪みか?

 ※ここからは依存の個人的な心理解釈を書いて行きます。感情的ですのでご注意を。

一回前の記事で依存症の馴れ初めを書き綴りましたが、SNSで依存となるのは「いいね」や拡散の数。
SNSでも評価されることでドーパミンが出るようです。「承認欲求」と言われているものですね。

それを気にする事で、本来自分が素直に書きたい事が書けなくなって少しづつつまらなさを感じました。
そして他に書いている個人的情報の内容はネガティヴ。
誰が顔も知らない人の愚痴を延々読み続けられるか、考えて嫌な気分になる事もありましたが、実生活がストレス過多の時は辞めらない行為でした。
そんなことしている間に、誰も反応しなくなり。
訪れる疎外感。自分の携帯から自分用の画面を見ているのに疎外感とは恐ろしいです。
そして反応の有る無しに拘る自分が気持ち悪くて悪くて。
第一、何をどう楽しんでいるのかもわからない人に誰が反応するんだろう、と辞めて半日しか経ってないのに何となく思います。

また、「認知の歪み」みたいなものを自分の中に発見しました。
認めたくなかったけどそうだった事。
辞めてから、今までこんな感じで考えていたけど、本当はこうだったかなと冷静に考えたことです。
例えば、

本来趣味なども他人と共有しなくてもいいと思っていた
→他者との会話やいいねの評価に喜んでいた、本当は他者と関わり合って楽しく使用していたかった。
疎外感が辛かった理由
→上記の本当は関わりたい気持ちを全く表に出さずに過ごしていた為、疎外感が日に日に強くなっていった。第一、自分から一切話しかけないのに楽しく、なんてなるわけがないと認められなかった。
そんな状況でも依存し続けた理由
→しなければいけない日常の事から逃げたかった。
愚痴ぐらい書きたいと思っていた
→見ている方の身になれば、いい加減にしろ・この人やばい人なんじゃ、と思われるのが一般的だということを認めたくなかった。

書いていて思いました。
そういう人もいるけど自分がそうだなんて認めたくなかったです。
引きました、自分に。
でも何より自分で、情けない。
こんなことを溜め込んでいたんで、考え方が異常なのは一旦置いておいても、それはそれは疲れました


実はこの状況、現実での対人関係でもよくあった事でした。
結局、上手く入っていけない、色々と気にしすぎてしまう自分のやり方の結果で居づらくなっていたんですね。

私は「住み分け」をして、交流したい人たちに積極的に話しかけて、楽しむことに挑戦しても良かったのかもしれませんし、これからしてもいいかもしれません。
今はゆっくり考えて離れた場所から「本当はどう考えていたか」を理解してあげるのが自分にとって良い方法だと考えています。
それに結局のところ、依存症も含めて自分の問題を解決できないから、場所を変えたって居心地の悪さを感じてしまうということでして。

引きこもりのうちに問題に取りかかれたのは幸いだったかもしれません。
文章からしてまとまりがないので、まだ頭の中も一切まとまっていませんが、
自分で自分の感情を今まで無視していた事をSNSを辞めて学びました。

何だか疲れる

依存のことを書いて以来、過去のことや現在の問題、自分の辛い気持ちと向き合ったり、上手く向き合えなかったり、何だか落ち込みがちです。
本当の気持ちが知りたいのに、それをどうにかしたいのに、隠れちゃってすぐに分からなくなってしまうんです。
加えて自分、ホルモンバランスの悪さもあり、PMSがちな時期とか要らん個人情報も。

疲れたらぐったり力抜いてご自愛してきます。